【白馬村から】いつ死んでもいいように生きる
こんにちは!マイクロプレナー®関達也(@SekiTatsuya)です。
ひとり起業・副業で、ゼロから億を稼いだ経験を元に、日刊ラジオを発信しております。
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今回のテーマは、第413回目の【白馬村から】いつ死んでもいいように生きるです。
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目次
人生初の長野県の白馬村
人生初の長野県の白馬村にやってきました。
昨日は長野県の松本市で、キャンピングカーの車中泊をしました。
キャンピングカーは本当に便利ですね。
寝るときやご飯を食べるときは荷物を整理する必要がありますが、とても快適です。
ADDressの家に泊まったり、車中泊をしたりを繰り返してますが、ずっと車中泊というのもやってみたいです。
いつ死んでもいいように生きる
さて、今回のテーマは、「いつ死んでもいいように生きる」です。
このタイミングで、「いつ死んでもいいように生きる」というと、コロナに感染しても死んでもいいと、とらえられる読者さんがいらっしゃるかもしれませんね。
ただ、これはコロナに一切関係ありません。
ちなみにまたコロナが世間を賑わすニュースが増えてきてますね。
昨日4月16日の東京の感染者数は286人。1日の感染者数では過去最多になりました。
また、GOTOキャンペーンでは、東京発着を対象外と政府が決めましたね。
GOTOキャンペーン自体の批判から、東京だけ除外とは不公平だという声などいろいろです。
どう結論が出ても反対する人はいるし、全員を公平にというのも難しい話ですよね。
いつ死んでも悔いがないようにと思った2つの理由
さて、話を戻しますが、僕はあるときから、「いつ死んでもいいように生きる」という思いで生きています。
いつ死んでもいいようにというのは、言い換えれば、いつ死んでも悔いがないようにとなります。
こう思った理由は、2回あります。
理由①35歳、死にそうな思いをした
一度目は、35歳の時、死にそうな思いをしたときです。
それが僕の3度めのどん底でした。
自分の死を意識すると、人間変わると思います。
少なくとも僕は変わりました。
そのときはまだ次女は生まれてなく、長女と長男がまだ5歳、3歳くらいのときです。
子供がそんなに小さいときに、まだ死にたくない、まだまだ生きたい、と強く思う自分がいました。
そこから、死の反対の生について、真剣にとらえるようになり、生き方について真剣になりました。
実はブログとメルマガの発信を始めたのも、それがきっかけです。
その時の自分のキャッチコピーは、今となってはこっ恥ずかしいですが、熱き心の伝道師、と名乗ってましたね。
理由②40歳直前、人生の折り返し地点という意識をした
いつ死んでもいいように生きる、と思った2度目は、40歳直前の頃です。
人生の折り返し地点という意識をしたときに、自分が思ったことを行動できているか、やり残したことはないかと考えたのです。
おこがましいですが、自分の思いを伝えることで、人の人生が変わる手助けができないか、それが貢献になるのではないかと考えました。
30代の7年間、ひきこもりだったので、人の前に出ることは勇気がいりましたが、40歳でセミナーを始め、41歳で全国セミナーで北海道から沖縄まで10箇所を回りました。
いつ死んでもいいように生きている今
やりたいことややろうと思ったことを、とにかく行動に移すことをやってきました。
今50歳になりましたが、今もいつ死んでもいいように生きています。
今こうして次女とキャンピングカーで回っているのも、そうです。
子供に残してあげられること、なにか社会に残してあげられること、それを行動で示すことが僕の使命となっています。
コロナで行動が制限されるのは困りますが、その中でできることをやって悔いがない生き方をしていきます。
あなたの悔いがない生き方はなんでしょうか?
聞く機会があれば、ぜひ聞いてみたいです。
僕の記事がお役に立てれば嬉しいです。
それでは、また次回!
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